Soup Friends

Soup Friends Vol.30 / 角田 光代さん

数えきれないほどの著書を世に送り出しながら、それぞれにおもむきが異なる作風が印象的な角田光代さん。栄誉ある数々の賞を受賞し、映像化される作品も多く、読者を魅了し続ける物語はどのように書かれているのでしょうか?「書き続けること」そのものに真摯に向き合う角田さんの執筆活動や、食生活、旅などについて伺ってみました。

──角田さんはお料理がお好きなイメージがありますが、スープ(汁物)をお作りになることはありますか?

はい。家に居る日は、毎晩味噌汁を飲みます。私自身は洋風のスープが好きですが、夫は味噌汁派なので、普段は味噌汁をよく飲んでいます。夫が家で食事をしない日は、野菜をたくさん入れたトマトスープやクリームスープなどを作ります。仕事柄、週に5日間外で食事をすることもありますし、外ではたいていお肉を食べるので、野菜を摂る手段としてもスープが重宝します。ポタージュなんかも大好きですよ。

──作品の中でも、食べものにまつわる表現が丁寧に描かれているようにお見受けしますが、角田さんはどんな時に料理をなさるのでしょうか?

私が料理をする時は、私が食べたいものを作るというよりも、一緒に食べる人がいて、その人が食べたいものを作ることが多いです。食べるものは、自分が作ったものでなくてもいいと思うほうなんですよね。時間がない時は、ひとりで飲みに行ってお酒と一緒に何かをつまんで食事を済ませることもあります。だけど、何日かひとりで食べる日が続いて、どこかへ飲みに行くのも飽きた時には、なんだか無性に健康に良いことをしたくなって、栄養のバランスを摂る目的で料理をしたり、あるいは人と一緒だと食べられないような牛すじの煮込みみたいな、内蔵系の料理をすることもあります。そういった意味では、私にとって料理をすることは、食べることとくらべると、少し距離があるのかもしれませんね。

──ランニングもなさっていますよね。どのようなきっかけで始められたのですか?

友人たちと一緒に始めて、年に1回大会に出たりしています。でも、辞めるに辞められなくて(笑)。仲間に「すみません、辞めます」とか言いにいくのも気まずいしなぁとか思ったりしながら、結局ここまで続けています(笑)。

──執筆活動についてお伺いします。いつもどのような環境で書かれているのですか?

私は月曜日から金曜日の午前9時から午後5時までと書く時間を決めて、仕事場に通っています。どんなにノッている時でも、その日の目標にしていたところまで終わらなかったとしても、5時になったら絶対に帰宅するようにしています。5時以降は一切仕事のことは考えず、食べることやお酒のつまみのことだけを考えるのです(笑)。このサイクルにしたきっかけは、30歳の頃につきあっていた彼が会社員で、平日の午前9時から午後5時までの仕事だったことに合わせて、週末にも時間をつくるようにしたのですが、別れた後もなんとなくこのリズムが続いているのは、時間を決めると、ちゃんとやるからかもしれません。時間を決めていなかった時よりも、単純に量として多く書けるんですよね。絶対に5時までにやらなきゃと思うと、ちゃんと取り組むというか。

──角田さんにとって、「書くこと」はお仕事として取り組まれているのでしょうか?

「書くこと」を仕事にしたかったという想いがとても強いので、仕事にならない「書くこと」はやらない、というところはあるかもしれません。それはすべての根源となる「書きたい」という気持ちとは、少し意味合いが違うのかもしれません。

──作品を書かれる時には、読者に伝えたい真意があって書かれているのでしょうか? また、それらをなるべく多くの人に読んでほしいと思って書いていらっしゃいますか?

実は、読者のことを想定して書いたり、伝えたいことをどう読者に届けて、それらがどのように受け取られるのかみたいなことは、あまり考えていないのです。書き手として、自分が何を書きたいのか、ということしか考えていないかもしれません。もちろん、仕事として書いている以上、自分が書き続けていけるくらいの最低限の冊数が売れないと続けられないという現実はありますが、自分の本が大体どのくらい売れるのかというのはある程度決まっていますし、それでいいと思っているところもあります。どういうものを書きたいのかということは常に考えますけれど、その本がどのくらい売れるのかを、私が考えても仕方がないと思っているところもあります。

──作品に共感してほしいという想いはおありですか?

小説に「共感」というのは、あまり必要ないと思うんですね。誰かにわかってもらいたいとか、共感してもらいたいということは考えて書いていません。自分が小説を読む時も、共感をそんなに優先していないんです。いまの時代は、本の読み方として「共感」ということが求められすぎていると思います。「わかる」とか「泣ける」みたいに、「共鳴する」ということが求められているように感じますが、それは小説や文学の大きな存在理由ではないと思うんですよね。逆に、「わからない」ということが非常に軽んじられているような気がします。以前は、小説はもっと堂々とわからないものだった。何を言っているのかわからないけど、なんか読みたいとか、なんかシビレるなんていう感情があってもいいジャンルだったのに、いまでは「わからない」という切り分けでくくられてしまうのはつまらないなぁという気持ちがあります。

──小説の題材はどのように決められるのですか? また、主人公の言葉や体験は、実際に角田さんが経験されたり、感じたりなさったことなのでしょうか?

最初にテーマを決めるのですが、それは日々のなかで社会を見ていて思うことや憤りを感じることから着想を得て、それをどのように小説にしようかと考えます。まず、人物とストーリーが思い浮かび、そこから構成を決めながらどのような話にしようかを考えます。「テーマ→設定→構成」という順で考えていくのですが、テーマが決まってから設定を考えるまでに約半年くらいかかります。ストーリーが決まればキャラクターづくりまでと落とし込む構成作業は、わりとすんなりと決まります。『八日目の蝉』を例にすると、ある時、子どもの虐待のニュースが続いた時に、父親による虐待と母親による虐待のケースをくらべると、母親のほうが無言のプレッシャーに苛まれているように感じました。それは「母性」という概念があるからかもなぁと思ったり。また『対岸の彼女』の場合は、働く主婦と専業主婦の議論バトルをテレビで観て、女性同士が、しかも同じ母親なのにどうしてここまで相手のことをこけおろさなくてはならないのかと、とても憤りを感じたことがきっかけでした。そんな風に着想を得てから、構成を組み立てていくまでに1年くらいかかりますね。今年の12月に始まる連載は、3年くらい前からやることが決まっていましたが、その間にもずっとテーマを考えているんです。
 いざ、書き始める時には、自分の疑問や怒りなどは一切削ぎ落として、ニュートラルな状態にします。これを伝えたいとか、これを言いたいという気持ちはない状態で書き始めるのです。自分の視点が入ってしまうと、意図やメッセージが含まれてしまって、小説には必要がない「正義」が生まれてしまうと思うのです。もちろん、メッセージのある小説が間違っているという意味ではありません。ただ、私の場合は、読者に何も押し付けたくないのだと思います。

──小説の中に出てくる時代背景や主人公が置かれている状況などが、克明に描かれていますが、いつもどのように取材をなさっているのですか?

たとえば『八日目の蝉』の取材で小豆島を訪ねた時には、地元の方に年間行事やお祭りの様子などを説明していただいたり、素麺屋さんを見学させていただきました。その過程で想像を膨らませながら、ここで暮らすとしたら、日常シーンにこんなことがあるのかなとか、風物詩でもある農村歌舞伎には、小さな子どもがいれば子ども歌舞伎に出演したりするのかな、などと考えながら、想いを巡らせて書き進めていきます。基本的には取材や資料をベースに書いているので、もしも島の方々が読んでくださったら、実際と違う部分もあるかもしれません。でも、読み方は読者の自由でいいと思うんです。たとえば近しい人に本を貸したりしても、つまらないと思う箇所は一緒かもしれませんが、よかったねって思うところは違ったりする場合が多いと思うんですよね。読者に委ねられているその幅が小説の面白さだなぁと感じます。だけど、私自身は一般社会で働いた経験が少ないので、たとえば女性社長が登場人物として出てくる場合はどんな日常をおくっているのだろう、って一から調べないとなりませし、取材は大変な作業です。一番楽しい時は、書き始めてから筆がノッている時だけですね(笑)。

──角田さんの執筆の原動力になっていることは何だと思われますか?

原動力という意味では「書きたい」という想いじゃないでしょうか。子どもの頃から書くのが好きで、どうしても書いていたいというのが常に自分のなかにあって、それが「仕事」じゃないと困ると思ってきました。私にとって「書くこと」というのは「考えること」に近くて、もしも書くことを仕事にしていなかったら、社会のことなんかどうでもいいと思っていたかもしれません。今日は何を食べようかとか、そういうことばかり考えて毎日を生きていたかもしれない。でも、書くことを仕事にした以上、常に「何を書くか」ということを考えなくてはならないわけで、すると世の中を見回すようになったり、自分のなかに残る違和感や憤りを感じることに目を凝らさずにはいられないんですね。ですから、私にとっては「書くこと」が社会との接点になっているとも言えるかもしれません。

──物書きになりたいと思われたのはおいくつくらいの時だったのですか?

私は3月生まれなので、幼稚園の頃に4月生まれの子よりもすごく小さくて、当時はみんなと同じように出来ないこともたくさんあって、友達もあまりいなくて、その頃はずっと本を読んでいました。本という、こんなに面白い存在に気づいたのと同時に、友達がいないことに気づかれずに済んだ(笑)。小学生にあがって「将来何になりたいですか?」という作文を書いた時に、こんなにも大好きな「本を書けるようになりたい」と思ったのが、始まりです。

──大学時代には、劇団にも所属なさっていらっしゃいましたよね?

はい。書くことがひとりでやる作業だったので、大勢でできることがやりたかったのです。学生時代はとても楽しかったですね。いまの仕事でも小説のキャラクターづくりをしている過程で、演劇をやっていた頃に培った役を掘り下げる感覚が、役に立っている部分もあるかもしれません。

──角田さんと言えば、旅がお好きなイメージがあります。旅が与えてくれるものがあるとしたら、それはどんなことですか?また、もう一度行ってみたいと思う場所があれば教えてください。

そうですね、旅は本当に大好きです。旅が与えてくれるものがあるとしたら、普段自分がどのようなことを大切にしているのかがわかる、ということでしょうか。それはとても些細なことだったり、必ずしも良いことばかりじゃないのですが、小さな気づきが気持ちのなかに降り積もっていくことを幸せに感じるのだと思います。たとえば、旅先のバス停で隣りにいたおじいちゃんに、行き先とどのバスに乗ったらいいのかを聞いたら、何も言わずに3時間くらい一緒に待ってくれて「このバスだよ、乗りなさい」と教えてくれました。そんな時は「この町に来て本当によかった!」と心底思うし、市場で美味しいものに出会ったら「何これーっ!」と驚くほど嬉しいし。そういう小さなことで充分なんですよね。とりわけ、ひとり旅が好きで、最近では仕事の方々と一緒に行く旅が多いですが、それでも必ずひとりで行動できる自由時間をもらうようにしています。世界で行ったことがある国は38か国ほどになりますが、もしも適うなら、私が行ったことのある国をすべて再訪したいです。なかでもタイに一番多く行っていますが、やっぱり一番好きですね。食べものもとても美味しいですしね。

──プラン・ジャパンという国際NGO団体が、イギリス、オーストラリア、オランダ、カナダなどで展開しているグローバルキャンペーン「Because I am a Girl」についてお伺いします。世界中の貧困問題を解決するプロジェクトで、とりわけ途上国の「女の子や女性たち」が貧しさのなかにありながら、社会の底辺に置かれ、より困難な状況に直面している現実を前に、「生きていく力」を身につけることを目指す活動だそうですね。角田さんは同プロジェクトの書籍の日本語版を翻訳なさったそうですが、どのような経緯でこのプロジェクトに関わられることになったのかお聞かせいただけますか?

3年前にお仕事のご依頼をいただいたのがきっかけでこのプロジェクトを知りました。そうしたら、偶然にも夫がずっと支援をしていたようで、ご縁を感じてお引き受けすることになりました。しかし、お引き受けしてからも、相当に悩みました。日本では東日本大震災という未曾有の惨事に見舞われ、いまも非常に困難な環境下に置かれている方もいらっしゃいます。そんななか外国でこれだけ大変な目に遭っている女性たちがいると言ったところで、うまく伝わるのかなぁと思うところもあります。本が出ても、なんでわざわざよその国の習慣に対して言及しているのかと思う方もいらっしゃるでしょうし、外国の問題に取り組むゆとりがあるほど、日本の女性たちはなんの苦労もなく生きていられる環境なのか?というご意見を抱く方もいらっしゃるでしょう。それでもなぜ私が関わり続けているかというと、この事実を知ってしまったからということにほかなりません。女性器切除の廃止や、売春、人身売買をなんとかしようという活動を、どこかほかの国からやってきた人たちがやっているわけではなく、ほかでもないその地域の方々が率先して、自分たちの置かれている状況を改善しようとしていました。その状況を目の当たりにして心打たれるものがあり、このことをどう伝えたらいいのかと考えながらも、私なりに前向きに取り組んでいるところです。

──最後に、いま伝えたいことなどがあれば教えていただけますか?

12/5(水)に「Because I am a Girl」のトークイベントがあります。聞いていて気持ちの良い話ばかりではありませんし、実際にはどのように伝えることができるのか、まだわからない部分もあるのですが、少しでもご興味をお持ちいただけたなら、出来上がった本を手に取ってもらえると嬉しいです。

角田光代/かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。90年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、06年『ロック母』で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、11年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞を受賞。著作多数。近刊に『かなたの子』、『曾根崎心中』、『紙の月』、『月と雷』、『まひるの散歩』、『異性』(穂村弘氏と共著)、『空の拳』などがある。

ストーリー

一覧をみる