Soup Friends

Soup Friends Vol.27 / 高橋靖子さん

日本のスタイリストの草分け的存在として、長きに渡り第一線で活躍を続ける高橋靖子さん。ヤッコさんの愛称で親しまれ、デヴィッド・ボウイやT・レックスといった海外アーティストからの信頼も厚く、1960年代から原宿、表参道を見つめ続けた語り部として、数々の著書やブログで発信なさっています。当時を知らない若者たちにも惜しみなくそのエッセンスを共有してくださる懐の深さをお持ちの高橋さんに、当時の想い出や食生活について伺いました。

──スープ(汁物)はお好きですか?

ええ、大好きです。私の食事は、スープとご飯が基本なんですよ。椎茸と昆布と鰹節からとる出汁をベースに和風にも洋風にもアレンジして、冷蔵庫にあるじゃがいもや人参、キャベツ、玉葱などの野菜と、鶏の胸肉や手羽先などのたんぱく質を入れるシンプルな野菜スープを、よく作ります。野球選手のイチローさんが元気な理由のひとつに、毎日食べるカレーに必ずカルダモンを入れるという話を聞いてから、私も洋風のスープには必ずカルダモンを10粒入れるようにしています。ご飯は、2合炊きの土鍋にお米とアマランサスをたっぷりと入れて炊いたり、豆ご飯が好きなので、夏の初めにはグリーンピースを入れたりして、残ったら小分けにして冷凍しておきます。いつどんな時も、スープとご飯があれば満足できるんです。でも朝ご飯だけはパンを食べる習慣があって、紀伊国屋の「パンプキントースト」というパンが好きで、塩糀で和えたアボカドとスライスしたトマトをのせたものとスープというのが、いつもの決まりです。たまには、ご飯と味噌汁ということもありますけどね。ビシソワーズやガスパチョみたいな冷たいスープやカレーは、ひとり分だけ作るより、ある程度の量をまとめて作ったほうが美味しいから、外で食べさせていただくことが多いです。

──Soup Stock Tokyo(以下、SST)をご利用いただいたことはありますか?

はい、時々行きますよ。行くときは、Echika表参道店が多いです。「オマール海老のビスク」なんていいですよね。味はもちろんですがネーミングもいい。SSTのスープの味は安心していただけるんですよ。「自分で作っているものと矛盾しない」って言うのかしら。それに、外食する時に1,000円前後で美味しいものがいただけるっていうのが一番いいでしょう?だから、親元を離れて都会で生活するお子さんがいらっしゃる親御さんたちは、「SSTのスープを食べている」と聞いたら安心すると思いますよ。

──スープ(汁物)にまつわる想い出があればお聞かせください。

今でこそ「スープと身体が一体化」していますけれど、私は昭和の田舎育ちですから、子ども時代にはお味噌汁しかなくて、スープというものが身近ではありませんでした。ですから、上京して暮らしが都会化するにつれて、徐々に獲得した味わいであると言えます。もちろん今も、お味噌汁は大好きですよ。いろいろな種類のお味噌を買うのが好きですしね。
 それから、人生で一番と言えるくらい悲しい出来事が起きた時に、六本木にある「香妃園(こうひえん)」という中華料理屋さんの「鶏煮込みそば」のスープを飲んだのを憶えています。どんなに悲しい時でもスープだけは自分の細胞が受け入れるというか、「細胞と同化しやすい食べものがスープ」なのではないかと思います。

──高橋さんと言えば、「菜食主義」や「自然食」といった食生活に対するこだわりをいち早くお持ちだったと伺っています。どのようなことがきっかけだったのでしょうか?

なるべくちゃんとしたものを食べようという心がけを実践し始めたのは1960年代後半くらいからで、もう随分長くなりますね。当時はまだ誰もそんなこと言っていなかったから笑われたりしましたよ(笑)。だけど、子どもの頃には当たり前だった、穫れたばかりのトマトや胡瓜の香りとか、お醤油がものすごく美味しかったことからもわかるように、シンプルな中にも季節のものを美味しく食べるということだけは肌感覚でわかっていたのじゃないかしらね。だけど、18歳で上京して以来、いつの間にか添加物が使われた食事にも慣れてしまっていたんですね。きっかけは第一次オイルショックで仕事が全くなくなった時でした。時代はずっと上り調子だったのに、急に仕事がなくなってね。忙しくて身体はボロボロだったのに、お金も潤沢にあったわけじゃないから、タクシーに乗る代わりになるべく歩くようにしたりね。そうしたらある日、朝日カルチャーセンターでヨガクラスが始まって、私はヨガクラスの第一期生になったのです。当時はまだ一回目だったから、教えてくださる先生も高名な方でね。とても面白くて、月に一回自然食のごはん会があったのだけど、そこで久しぶりに野菜や調味料そのものの美味しさに感動したのね。でも、その先生は「抵抗力をつけるためにはたまには悪食も必要。正しいものばかり食べていると清く正しくなりすぎちゃう」と言って、一緒に焼肉やジャンクフードなんかを食べまくったりしました。ワルイ食べものって言いたくないから「娯楽食」と呼んだりしてね(笑)。たまにはメチャクチャしたっていいし、ストイックになりすぎない。バランスのとれた食生活を心がけるようになったのは、その先生に出会えたおかげだと言えます。

──高橋さんのご職業である「スタイリスト」というお仕事について、一番魅力的だなと思われることはどんな部分でしょうか?

いろいろな人と知り合えるということだと思います。人と知り合うということは、その時代に追いついていけるということだし、もっと言うとその時代を一緒につくっていけるということだと思うんですよね。私が寂しがりやだからかもしれないけれど、人と一緒に何かを生み出すという作業がとても好きなんです。スタイリストと言ってもいろいろなタイプの方がいらして、私にとってスタイリストという仕事の目的は、「突飛な発想から日常生活までを描く映像の一部分を担当する一員であり、その対象の周りにある空気をつくっていくこと」だと思っています。ご依頼をいただく時のオーダーは本当にいろいろで、映画を例にとった注文もあれば、抽象的なテーマを渡されることもあるし、極めて具体的な場合もあって、テーマをいただいてから夢中になって考えることがほとんどです。いとも簡単にやっているように思われるけれど、実はそうでもなかったり、思いがけずにできちゃうこともあるし、いろいろ。スタイリストという仕事は、職人さんのように積み重ねた技が光るという類いの仕事ではないし、キャリアがあるからすごいということもないって、若いスタイリストさんによく話します。ただひとつ言えるのは、私は新しいもの好きだし、ミーハーなので、それが長寿スタイリストでいられる秘訣かもしれませんね。例えば、私の世代はみんながみんなパソコンを使うわけではないし、自分をさらすことを「はしたない」と考えるジェネレーションだけど、私はblogやtwitter、facebookだって背伸びしてでもやりたいと思うし、自分の情報はいち早く人に知らせたいと思うほうなんです。自分をさらすことによってどれだけのものが入ってくるかということを考えたほうがいいと思うのよね。

──高橋さんは今をとても軽やかに生きていらっしゃるようにお見受けしますが、その原動力はどこから来ているのでしょうか?

この歳になって、改めて自分の役目っていうのがあると思っていて、それはもしかしたら母性で考えているところもあるかもしれないけれど、こういう時代にしてしまった責任を私たちがとってからでないと死ねないなと自分なりに考えるところがあるんです。だから、政治家や官僚のみなさんが何をどう企てようと、10年先、100年先に生きている人たちがどうなるのか?を私なりに考えようと思っています。3.11以降、歴史的な大災害と大事故が起きて、国民自らが声をあげるようになったわよね。私は「原発反対っていうより、原発要らない」って言うほうが好きなの。「原子力発電所は、トイレのないマンションと同じだ」って例えた人がいるけれど、還元できないものを作り続けちゃだめなのよ。声をあげてそれを伝えるために、総理官邸に行かなくちゃならないし、代々木公園に集まらなきゃならない。でもね、私は活動家でもなんでもないのよ。確かに、学生運動の世代で、私のよく知っているひとが委員長だったし、そのガールフレンドがクラスメートだったけれど、私はどうしても群れになってそこに居るのが嫌で、主体的に参加したことは一度もないの。だから、ひとりでふらりと出かけていって、もちろんおしゃれとかもちゃんと考えて(笑)。当時はフランスパンが珍しくて、みんなまだ知らなかったから、1メートル弱の長いパンを2本ぐらい抱えていって「食べる?」ってみんなに分けてあげたりしてね(笑)。そんな風にして今もね、お買いものの帰りなんかに、ひとりでふらーっと代々木公園の集会に顔を出したりもするのよ。

──1960~70年代に伝説を残した「セントラルアパート」を中心とした原宿、表参道界隈で、印象的な食のシーンや、忘れられない食の思い出はありますか?

私はこの時代に世界中の美味しい味を知ったと言っても過言ではありません。中華、焼肉、ビーフシチュー、鉄板焼き、フィリピン料理、お鮨屋さん。石原裕次郎さんが通っていらしたステーキハウスなんかもあって、それらがセントラルアパートの中と、その周辺100mくらいのエリアにあったのよね。コーヒーの味には、いつまで経ってもなかなか慣れなくて、ミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んでたわね(笑)。当時、家賃が8,000円くらいで月給が5万円だったから、用心しないと暮らせないような身分だったのね。有り難いことにごちそうになることが多かったけれど、ひとりで食べる時は、フィリピン料理で一番安かったスープをご飯にかけて食べるような料理とか、「八角亭」っていう焼肉屋さんで「コムタン」という牛肉と内蔵を長時間煮込んだスープをご飯にかけていただくのが、本当に美味しくて大好きでした。こうして振り返ってみると、昔から私はスープとご飯の組み合わせが好きなのね(笑)。今でも、炊いたご飯をお鍋でコトコト煮て、豆乳を入れて、塩糀を入れてよく食べたりするのだけど、毎回「どうしてこんなに美味しいの?」って思うくらい、全然飽きないのよ。

──美味しいものを求めて旅をするとしたら、どこへ行きたいですか?

東南アジアかな。今までも海外ロケでいろいろな国に行ったけれど、タイなんかに行って食事をしたりすると、ふるさとの味がしてほっとするの。マンゴスチンとかパパイアみたいな東南アジア系のフルーツも大好きだから、前世とかで暮らしていたのかもね。逆に、ロンドンとかニューヨークは、私にとっての原宿や表参道と空気が同じで、「自分の場所」という気がしてすごく愉しいんですよ。

──良き時代の原宿、表参道をご存知の高橋さんから見て、時を経て様変わりしていく街の様子をどのようにご覧になっていますか?

否定したらおしまいだから否定はしないことにしています。「1960-70年代カルチャーを語れる語り部」でありたいと思っているけれど、「昔はよかった」って言うのは好きじゃなくてね。それを言わずに済む方法は「今も変わらずに何かやり続けること」だと思うのね。もちろんいろいろ残念なことはあるし、もう原宿の真ん中に住もうという気持ちにはなれないけれど、今は原宿の親戚みたいな千駄ヶ谷という街に住んでいて、「ハチ公バス」に乗れば自分の庭みたいに、友達と会ってランチするのにも、洋服を買うのにも、ちょうど行きたいところに行けたりして、便利になったこともたくさんあるわよ。

──高橋さんが生きて行くうえで大切になさっている機微や信条を教えていただけませんか?

人間には必ず表と裏があって、正直に言えば、人に会った時に表現している部分の裏側には、そうでない部分もたくさんあると思うんです。自分自身と社会の状況がすごく似ていると思うことがよくあって、そんな中、自分自身のためにも、社会に対しても、私は「こうして元気に生きていくぞ」という意思表明をしているところがあります。誰かに対して、というわけでもなく「見ていてください。格好良く生きてみせるから」って思いながら。とりわけ都会の生活ってある意味で孤独でしょう?でも、孤独だっていうこともある意味においては大切で、すべてにおいて幸せで満足していたら、何かに夢中になったりできないと思うのよね。ご隠居さんになれない私だから、まだまだ頑張らないとっていう覚悟をもって生きています。

──高橋さんが、今一番興味があることや、今後やりたいプロジェクトなどがあれば教えてください。

私はこれからもずうーっと、スタイリストとしてやっていこうと思っています。世の中の人たち全員から「もういいよ」って言われたら納得して辞めるかもしれませんけどね(笑)。そのうえで思うことは、自分が書いたものを映像化したいという願望でしょうか。私の書いたものを読んでくれた人が「映画を観ているようだ」とか「小説を読んでいるみたいだ」とか言ってくださることがあるんですよ。私自身もそういう域に達するといいなと思って書いているのかもしれません。だから、みんなに1960-70年代のことを聞かれたら「これですよ」っていう映像があればいいじゃない?『表参道のヤッコさん』っていう映画とか、NHK朝の連続テレビドラマ小説があったらいいわよね(笑)。誰か作ってくれないかしら(笑)?私も自分で観てみたいんです。「これ、私よー」なんて言ったりしてね。

高橋靖子/たかはしやすこ

1941年茨城県生まれ。日本のスタイリストの草分け的存在。1970年代には山本寛斎のロンドンでのショーを成功させ、デヴィッド・ボウイやT・レックスのフォトセッションをサポートしたことで知られ、カルチャーの揺籃(ようらん)期から数々の伝説的現場に立ち会った。現在も、CMや広告など、第一線で活躍し、多くのクリエイターに影響を与えている。エッセイ『家族の回転扉』(『小さな小さなあなたを産んで』読売新聞社所収)で第19回読売「ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞を受賞。そのほかの著書に『表参道のヤッコさん』(アスペクト・1,470円)、文庫版『表参道のヤッコさん』(河出書房新社・798円)、『私に拍手!』(幻冬社・1,470円)、『小さな食卓 おひとりさまのおいしい毎日』(講談社・1,575円)などがある。

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