Soup Friends

Soup Friends Vol.16 / 細川亜衣さん

イタリア料理を礎としたシンプルかつ素材感のある料理に定評のある、料理家・細川亜衣さんに「食べること」について伺いました。細川さんが思いめぐらせてきた食に対する姿勢は、飽食の時代に生きる私たちの食生活を振り返るものになりました。

──細川亜衣さん(以下、細川さん)が料理の道を志されるようになったのはなぜですか?

子どもの頃は食が細かったのですが、ある時から食べることに目覚めました。「食=喜び」だと感じるようになったのは中学生くらいから。当時はいくらでも食べられたので、いつもお腹を空かせていて、「なんで胃袋ってすぐにいっぱいになっちゃうのかな」っていうのが悩みでした(笑)。
食べるものをつくってみようという発想に至ったのは、お菓子づくりが好きな親友がしょっちゅう大人顔負けのケーキを焼いてくれていたのですが、段々と一緒に料理もするようになり、魚のパイ包みや、ラヴィオリなど、本格的なものにも挑戦して料理の楽しさに目覚めました。
また、母方の女性たちがみな料理好きで、家族のために何でも心をこめてつくっていたことも影響があるかもしれません。

──細川さんがイタリア料理をベースに活動をされるようになったきっかけを教えてください。

高校生の時からドイツ語を勉強していたのですが、いざドイツに行ってみると、とても魅力的な国ではあるけれど、どこか自分とは肌の合わない印象を受けました。そんな中、ドイツ語の学校で出会ったイタリアの人たちとは、とても波長が合って居心地がよかったのです。それで路線変更をして、イタリア語を学びはじめました。そのうち段々と、料理を仕事にしたいという思いと、イタリア料理への興味が重なっていきました。
イタリアに住んでいたのは3年ほどですが、北から南まで様々な土地を訪れました。
シチリアでは、料理教室の門を叩きましたが、先生に紹介された滞在先のお母さんがとても料理熱心で、料理への好奇心にあふれた私を温かく迎えてくださったので、いつの間にかその方が私の“先生”になっていました。
彼女は、朝4時に起きて朝食、昼食の支度をすませ、私が起きる頃には掃除や編み物までしていました。コトコトと煮えている鍋や、すでに出来上がった料理を見つけて悔しい思いで“どうやって作ったの?作るところ見たかったのに…”と聞くのが常でしたが、どんな小さな質問にも快く答えてくれました。買い物やご近所との立ち話まで、金魚のふんのようにくっついては本当に様々なことを教えてもらいました。どれも暮らしの中の小さな積み重ねでしたが、毎日が喜びに満ちていました。シチリアの鮮やかな色や光とともに、あの頃の日々は今でも私の中で輝いています。

──イタリアでは、すでに料理の道を志そうと決めていらしたのですか?

はい、イタリアへ行こうと思ったのは、料理の世界で生きてゆきたいと思ったからです。そのために、あえて自分の知らない国で、そこに長く息づいている料理を見つめてみたいと思いました。日本に帰ってからのことは漠然としていましたが、ひたすら毎日食べた料理の感想をこと細かにメモしたり、イラストにしたり、レシピにして書きためていました。そして、土地や人、食材や料理との出会いを求めて長い旅を続け、いつしか、料理への思いはもっと強いものになってゆきました。

──素材そのものの味を、オイルと塩で引き出す“シンプルなひと皿”が特徴的な細川さんのスタイルは、どのようにできあがったのでしょうか?

イタリアを訪れるたびに、オイルと塩だけで引き出される味の深さに衝撃を受けます。そして、そういう料理をひたすら食べ続けることで学んだことは大きい。
素材を一番おいしいと思う状態にするために、本当に必要な手間は何なのかを考えているうちに、次第に自分の料理というものが出来上がってきたのだと思います。

──「食べること」において、大切にしていることがあれば教えてください。

「大切に思うひとと一緒に食べる」。「その時に一番おいしそうな顔をしている食材を使う」。「食べるひとが一番喜んでくれそうなものをつくる」。「何もないところから生まれるおいしさを大切にする」ということですね。最後に挙げたことは、例えば、あたりに生えている野草と粉で香り豊かなパスタができるように、自然に目を凝らせば、限られた食材でも生まれてくるものは驚くような風味を醸し出し、喜びをもたらしてくれます。
また、家の裏庭では、筍もたくさん採れて、クリームのような素晴らしい香りがします。たくさん採れるから、また、今までに味わったことのない風味の筍だからこそ、冒険ができて、既成概念にとらわれない料理が生まれることも多い。“ひとつの食材がもつ可能性を信じる”ことこそ、私が料理をする中で一番大切に思っていることです。

──食を通じて伝えたいことがあれば教えてください。

私は、ただ食べることや料理が好きで、日々、気がつくと料理のことばかり考えています。自分の食べているものを知る、それがどこで生まれて、どこから来ているのか。誰と、何を、どんな気持ちで食べるのか。世界には食べることすらままならない、食べることの喜びを知ることなく一生を終える方たちがたくさんいらっしゃいます。だからこそ、“食べる以上は漫然とではなく、意識して食べる”ということでしょうか。

──細川さんにとって、スープ(汁物)とはどんなものですか?

身体全体が満たされるもの、ですね。

──“春のスープ”を作るなら、どんな素材を使いますか?

春になると出てくる青い豆や、柔らかな香りの野菜をふんだんにつかったミネストローネは欠かせません。あとは、1種類の野菜が主役になるスープです。オイルと、塩と、場合によってはほんの少しの隠し味を足して。

──好きな料理はなんですか?

たっぷりのオイルで蒸し煮にした青い野菜です。プーリア州をはじめ、南イタリアでよく見かける料理法で、野菜よりオイルを食べるためというくらい、オイルをたっぷりと使うのが特徴的です。オリーブオイルに限らず、油や調味料を変えることで和風や中華風にもなりますし、そこまでオイルをたくさん入れなくても、鍋の中で、鍋ぶたから落ちる野菜の水分を利用して味を引き出してゆくことができます。いまは、イタリア料理に限らず、自分の中では欠かせない料理法となっています。

──熊本に拠点を移されて、食文化の違いにおいて気づきなどはありますか?

まずは熊本ならではの食材に刺激を受けています。肥後の赤なすや、芋の芽など、今まで食べたことのない食感や香りから、アイディアが無限に広がりますね。今は子どもが小さいので、以前のようにイタリアに頻繁に出かけることができませんが、これを機に熊本の食に目を向けてみたいと思っています。地方料理の集大成とも言えるイタリア料理を見てきましたが、これからは、日本はもとより、自分が暮らす熊本の料理をもっと深く知りたいと思います。ただ、現在の熊本の食は、郷土色が薄い印象を受けます。それはとても残念なことだと思うので、熊本の諸先輩方に習って、次の世代に伝えていけるような活動ができるといいなと思っています。

──今後、細川さんが取り組みたいプロジェクトがあればお聞かせいただけますか?

熊本の食にまつわる発信の場になったり、情報交換ができるような場所を熊本につくりたいと思っています。ご縁があって住むことになった熊本の食材や料理を見つめて、自分なりに咀嚼してから、熊本の方を始め、熊本を訪ねる方の喜びとなるような料理を提供する場所になればいいなと思います。また、家に伝わる古い料理法が残されているので、時間をかけて勉強をして、当時の調理法を現代の食事に生かすことができたらとも思っています。料理は時代に合わせて変化してゆくものです。でも、古くからあるものを知り、闇雲に捨てずにかたちを変えてでも生かしてゆくことは、土地のアイデンティティーを守る意味でもとても大切だと思っています。

──最後に、Soup Stock Tokyo(以下、SST)についてのご感想や期待することがあれば教えてください。

SSTのスープに添加物が使われていないことや、なるべく国産の食材で安全・安心を基準にしていることは知っていますが、それとは関係なく、どこに行っても同じ味が食べられるようにつくられていること自体が、私の中では受け入れにくいのです。それはSSTに限ったことではなく、チェーン展開のお店全てについて言えることです。私は、自分で料理をする時間もありますし、外食をするとしても、わざわざ画一化された味のものを食べたいとは思いません。少しくらいだめな部分があったとしても、それは個性として受け入れればいい、たとえ味やサービスが悪くて嫌な思いをしたとしても、人間的でいいんじゃないかと。一方で、病院食や給食、宅配ものなどは、どこかで大量につくって提供する手だてが必要になってくるし、身体によくておいしいものを食べた方が断然いい。そういう場面ではSSTのようなフィロソフィのある企業が入ってくれたら、そこにはとても意味があると思います。

細川亜衣/ほそかわあい

1972年生まれ。大学卒業後、イタリアへ渡り、各地を旅しながら料理を学ぶ。帰国後、料理家として活動を続け、結婚を機に熊本に移り、現在は愛娘と3人で暮らしている。主な著書に『愛しの皿』(筑摩書房)、『30 Themes, 10 recipes』(リムアート)などがある。

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