Soup Friends

Soup Friends Vol.15 / 神保佳永さん

テラスに併設した畑で作る“青山産野菜”を筆頭に、生産者との深い絆によって吟味された無農薬野菜や江戸の伝統野菜を提供するレストラン『HATAKE AOYAMA』の総料理長、神保佳永(じんぼ よしなが)さんに現代の日本の食文化について伺いました。

──神保佳永さんが、料理の道を志したきっかけを教えてください。

今でこそ、「野菜料理」の店をやっていますが、実は僕、野菜が嫌いなのです(笑)。 この話をするとよく驚かれますが、今でも食べられない野菜はいくつかあります。これは生い立ちにも関係しているのですが、僕は商売家系の長男に生まれ、祖父は漁師、父はイタリア料理のシェフで、地元の茨城では流行を取り入れたカフェやイタリア料理屋を営んでいました。 また、父方の叔父は地元の無農薬農家で、今も毎週ブロッコリーや白菜を送ってくれますし、母方の叔父は割烹料理屋を営んでいます。そのような家庭で忙しく店を切り盛りする父の背中を見て育ったので、両親と一緒に食事ができることは稀で、基本的には自分で食事をとらなくてはならなかった。ですから、幼少期は野菜を摂る機会が少なく、トマト、ピーマン、グリーンピース、ナスなども嫌いでした。 両親が反面教師となり、小さい頃は料理人になどなるものかと思っていました。規則的な職に就いてきちんと家庭を守りたいという理想像を描き、高校生くらいまでは小学校教諭になるつもりでした。 僕の将来については両親とたくさん議論や喧嘩もしましたが、最終的には僕は長男であり跡取りだったこともあり、ついに料理人になる決意をしたのです。 料理を学び、都内で働いた後に、フランスに行くチャンスをつかみました。実は僕がフランスやイタリアで修行を積んで、家業を継ぐのが父の夢だったのです。その夢に一歩近づいた矢先に父が他界し、2年ほどで帰国しました。実家の家業は現在、母がカフェを運営しているので、僕は東京に舞い戻ることに相成ったわけです。

──『HATAKE AOYAMA』を始められたのはどんな思いからでしょうか?

フランスから帰国して、都内のレストランに4年間務めながら、高級食材をどんどん使うような料理をしていました。しかし不思議なことに、その頃に働いていたレストラン自体も野菜にはまったくこだわっていませんでした。僕自身も野菜が嫌いでしたし、農薬が使われているかどうかなども気にしたこともありませんでした。 その後、浦安のホテルで総料理長として自分が料理を牽引していく立場になると、原価を考えながらどうやって自分の料理を確立していくのかを考えました。そこでまずは、食材探しから始めたのですね。 「生産者の会」という、いわゆる地域の物産会に出向き、情熱をもって話しかけてくれた生産者さんが作る野菜を食べてみたら、それが実においしかった!小さい頃から野菜嫌いだった僕が、おいしいと感じられたのです。それ以来、納得のいく食材を自分の足で探し歩くようになり、オリジナルのスタイルが確立されていきました。生産者の方に実際にお会いして、畑まで足を運び、堆肥を見て、土を触って、野菜を見て、食べる。この過程をとても大切にしました。生産者の方には「“お取り引き”をさせてください」というと仰々しくなってしまうので、「また遊びにきていいですか?ぜひ今後とも“お付き合い”をさせてください」とお願いすることにしています。また、“東京”がコンセプトだった前職の『restaurant I』の総料理長を務めた時に出会った、在来種である「江戸の伝統野菜」をより広めたいと考えフレンチに取り入れました。のちに、『HATAKE AOYAMA』を立ち上げるまでの間、農家さんで研修をさせていただいた際に思いついたのが「青山産の伝統野菜を作る」こと。提供する料理も野菜に特化して、今後は食育にも取り組みたかったので、小学生向けのワークショップなどもやろう、と。そんな流れで、今までに培った生産者さんとの深い絆や野菜づくりへの志を伝えながら、「東京産の野菜」にフォーカスをしていく『HATAKE AOYAMA』のコンセプトに行き着いたのです。その土地の食材を知り、その土地でその土地の食材を消費することが、食を通した料理人の使命であると考えています。食で地域を活性化したいということが、今の目標です。

──食にまつわることで、心がけていることや大切になさっていることは何ですか?

まずいちばんに心がけていることは“旬を外さないこと”ですね。あとは、「江戸の伝統野菜」を伝えていくことです。 例えば意外と知られていませんが、小松菜は江戸生まれの伝統野菜で、小松川でできたから小松菜と呼ばれるようになりました。 しかも、現在東京都内で東京産の野菜が消費されているのはたった1%にすぎません。これを2%に引き上げるためには農地を広げなくてはならず、それだけでも相当に至難の業なのです。それを可能にすることが今後の夢ですが、Soup Stock Tokyoのようなお店でも「東京産の野菜」を使っていただけると、消費者への認知度も広がり、消費を促せるので、生産者を支え増やすことができるだろうと思います。

──食を通じて伝えたいことがあれば、ぜひ教えてください。

食は、僕たち人間が生きていくうえで絶対になくてはならないものです。その中で、何を食べて生きていくのか、何が正しいのかを見極められる目を一人ひとりに養っていただきたいと思います。そのためには僕らのような食にたずさわる者が、しっかりとした食文化を発信していかないことには消費者の方々に届きません。お金さえ出せば簡単に食品が手に入る時代だからこそ、お子さんの発育を考え、伝統野菜を未来に繋いでいく意味でも、間口の広いSoup Stock Tokyoのような業態とも連動して、より自然な形で発信していけたらいいな、と思っています。

──神保さんにとって、スープ(汁物)とはどんなものでしょうか?

手っ取り早いもの、ですね。スープの中にはいろいろな食材の味が溶け込んでいます。僕らも野菜の出汁をとりますが、お水に、玉葱、人参、セロリを入れて、ほんのひとつまみの塩を入れ、アクをすくいながら30分煮込めば、おいしい出汁ができます。その一口の中に、玉葱、人参、セロリのおいしい味が全部詰まっているので、すごく手っ取り早い食べものだな、と思うのです。特に野菜嫌いの方は、スープから始めるといいかもしれませんね。

─スープ(汁物)にまつわる思い出があれば、ぜひ教えてください。─

小さい頃に父が作ってくれたコーンスープです。コーンの缶詰を一切使わずにとうもろこしから作ってくれました。でも、当時のとうもろこしはもう手に入らないので、僕の大切な“想い出のスープ”です。

──Soup Stock Tokyoをご利用いただく際には、どのような場面でどちらの店舗をご利用になりますか?

Echika表参道店にはよく行きますよ!『HATAKE AOYAMA』の開業前には頻繁にお世話になりました。

──Soup Stock Tokyoで一番のお気に入りのスープがあれば教えてください。

「白胡麻ご飯」が大好きで、「桜海老と春キャベツのクリームスープ」と合せて食べるのが好きです。

──今の季節に冬のスープを作るならどのようなものですか?またSoup Stock Tokyoにあったらいいなと思うサービスがあれば教えてください。

旬を大切にしたいという意味でいくと、この季節の江戸の伝統野菜、金町こかぶのスープなどはいかがでしょうか。もちろん、葉っぱまで全部使ったスープにしたいですね。Soup Stock Tokyoにあったらいいなと思うのは、コーヒーみたいに片手で飲めるスープがあると助かります。僕はよく車を運転するので、小腹が空いているけど食べる時間がなくて、飲みものではないものを食したい、という時に。

──最後に、今後神保さんが取り組みたいプロジェクトがあればお聞かせいただけますか?

子ども向けだけでなく、おとなも含めた「食育」です。昨年からたくさんのメディアに取り上げていただけてとても有り難いのですが、流行りとしてではなくて、やっている取り組み自体に注目していただけたら嬉しいと思います。一見して普通のメニューでも、どういった食材をどういった考えで、そこにどれだけのストーリーが詰まっているかということを知っていただけるように取り組んでいるところです。 それからより多くの方に江戸の伝統野菜を知ってもらうという意味で、お店の前の畑では通年、江戸の伝統野菜を中心に育てています。今の時期ですと、のらぼう菜とか、ブロッコリーの苗、にんにく、小玉葱、えんどうなどを植えています。また、店舗では親子向けに「お野菜お絵描き教室」をやったりもしています。その日に生産者さんから届く野菜を見て絵を描き、子どもたちが嫌いな野菜を僕たちが料理をして食べてもらうと、「おいしい!」と言いながら食べてくれます。食育と共に、子どもの感性を養うという試みです。店舗の外での取り組みとしては、ご近所にある港区立青山小学校で管理栄養士の方と組んで給食を見直してみよう、というプロジェクトに取り組んでいます。まずは、低学年と高学年の子どもたちと一緒に週に1~2回一緒に給食を食べてみて、僕たちプロがどんな形で関われるのかを模索してみようと思っています。年齢によって食に対する興味が全く違うので、とても面白いです。ご期待ください!

神保佳永/じんぼよしなが

1977年茨城県出身。漁師の祖父、イタリア料理のシェフだった父のもと、幼少時から食材の大切さを身につける。辻調理師専門学校卒業。銀座「ベルフランス」を経て渡仏。帰国後、株式会社ひらまつに入社し、丸の内「サンス・エ・サヴール」開業スタッフを経験。退社後、浦安「ホテルエミオン東京ベイ」の洋食総料理長、2009年「restaurant I」の総料理長を歴任し、2010年HATAKE AOYAMAを立ち上げ、総料理長に就任し、現在に至る。

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