Soup Friends

Soup Friends Vol.12 / 林綾野さん

『没後120年 ゴッホ展』とSoup Stock Tokyoとのコラボレーションで実現した「ゴッホのスープ」。今回そのレシピを考案していただいたキュレイター/アートキッチン代表の林綾野さんに、スープと食とアートにまつわるお話のあれこれをうかがいました。

──林さんは、キュレイターを長年やっていらして、そもそもは食を出発点にされていたわけではないというお話をうかがいましたが、アートと食というテーマに行き着かれたきっかけは何だったのでしょうか?

お話にあったとおり、基本としては様々な美術展を通して、美術やアーティストを紹介する仕事に携わっているのですが、現在は“食”を媒介にアートを新しい切り口でご紹介する執筆業や料理制作も行っています。今の仕事のきっかけを作ったのは、2005年に企画に携わったパウル・クレーの展覧会だったのですが、過去の研究で私の頭の中にインプットされていた「パウル・クレーが食に高い関心を持っていた」という事実をきっかけに、行き着いたのが“食”だったのです。 キュレイターという仕事をする上でいつも考えるのは、「どういう紹介の仕方であれば美術に興味がある人/無い人、どちらにとってもアートが受け入れやすくなるのか?」ということや、「どうやったらより多くの人が観にきてくれるか?」とか、「みんなが行きたいと感じる展覧会はどういうものなのか?」といったことなのですが、その課題に対する私なりの方法論が“食”を切り口にすることだったのですね。 “食”は私たちにとってもっとも日常的なテーマですし、画家の意外な側面を知るにはまたとない切り口にもなってくれる。小難しい美術史からのアプローチと違って、もっと分かり易い文脈で美術を伝えることができるわけです。今まで美術を遠い存在に感じていた人にもメッセージが伝わりやすくなり、着実に興味を示してくれるようになるということも実感しました。

──今回SSTとのコラボレーションで考案していただいた「ゴッホのじゃがいものスープ」と、「ゴッホの玉葱のスープ」、その2つのスープを提案されたきっかけにについてそれぞれお話いただけるでしょうか?

フィンセント・ファン・ゴッホという人物を“食”という切り口で見ると、実は彼は生涯、食べることに執着しなかった人なんですね。ゴッホ展や今回の書籍の企画に携わる際に、ゴッホという作家を今までにない切り口、新しい紹介の仕方が無いかと考えあぐねたのですが、やはり行き着いたのは自分のメインテーマである「食とアート」だったのです。彼は手紙を多く書いていたのですが、文字に書き起こされた資料がたくさんあるにも関わらず、そこにはほとんど食のことには書いてない。それでも、ひたすらゴッホという人について検証を進めていくと、彼が本当にものすごく不器用で、美味しいものを楽しんだり生活の中でバランスをとっていくことが出来ない人だったからこそ、ああいった素晴らしい芸術が生み出されたとのだという事実に行き着いたんです。わざわざ強引に“食”という切り口で見たからこそ、彼の不器用さがあぶり出されたわけで、その「不器用さこそが、彼の芸術の必然性だった」という、ある種の逆説的な解釈なのですが。

──食に興味が無かったけれども、その彼も生きていくために食べなくてはならず、そのために食した料理の中にじゃがいもや玉葱のスープがあったというわけですね?

食に対する明確な記述はほとんど残されていないのです。ただし、酪農王国オランダ生まれで、乳製品やパンのほか、じゃがいもを多く食べる環境にいたことや、ゴッホの初期の代表作「馬鈴薯を食べる人たち(食卓についた5人の農民)」という作品、他にも何点かじゃがいものある静物画を描いていることから、ゴッホとじゃがいもの結びつきが強かったことは事実です。今回の展覧会でも同作品の版画のバージョンも展示されていますので、本展でその結びつきを実際に確認することができます。

──そこで、ぜひともじゃがいもで何かやりましょうということになって作ったスープがこちらですね?どんな味わいなのでしょうか?

オランダは冬は特に寒い国なので、スープという料理がもともと生活に根付いているのですね。そういう定着したスープ文化と絡めてゴッホを考えた時に思い浮かんだのがこのスープです。裏ごししてピュレ状にするような洗練されたスープではく、あえて粗野な雰囲気で、ゴロゴロっとしたじゃがいもの素朴な味わいが表に出るように仕上げています。スープとしてさっぱりといただくのではなく、お腹も満たされて身体もあたたまる、生きることに根ざした、土に近い感じの風味が楽しんでいただけると思います。

──玉葱のスープについてはどうでしょうか?

玉葱も実際には“食”を介してゴッホと直接強い結びつきがあるわけではないのです。ですから、こちらもじゃがいもと同様に、玉葱を描いた作品を何点か残しているという事実からヒントを得てレシピを構想したスープになります。ロンドンのナショナルギャラリーに所蔵されているゴッホの代表作に『アルルのゴッホの椅子』という作品があるのですが、今回のゴッホ展で実際に展示される『タマネギの皿のある生物』という作品と、どちらにも同様に玉葱が描かれています。フィンセントと書かれた箱に入っていて、玉葱そのものは天に向かって勢いよく芽吹いている。この玉ねぎこそが彼の生命力の象徴なのではないかと解釈することもできるのです。この静物画の方は、ゴッホがちょうど精神的な病気を患った時に、病院から自分の住まいに戻ってきて描いた作品で、テーブルに置いてある本は『健康年鑑』。あと、弟とのやりとりで彼にとって日常的なアイテムであった手紙と、お気に入りのパイプと、火の灯った蝋燭。つまりここでゴッホは、「自分はもう病気から回復して元気になった」「この玉葱のように、生命力に満ちあふれて、これからも元気にやっていくんだ」というメッセージとしても読み取ることができるんです。このように、ゴッホはわずかではあるものの静物画として食べ物を描いているのですが、その多くがおおらかで明るいタッチに仕上げられている。つまり、ゴッホにとって食べものを描くことはポジティブな意味合いがあって、自分の内面の暗い部分に向かい合って描いて行くというよりは「前に進もう」という強い意思を感じ取ることができる気がするのです。

──具体的な味わいはどんな風に仕上がっているのでしょうか?

こちらも、素材そのものの風味を最大限に活かした一品です。じっくり炒めた玉ねぎをスープストックで伸ばした、シンプルですがとても深い味わいがクセになるスープです。ゴッホの絵の中にある玉葱からインスピレーションを得て、あえて玉ねぎの強い繊維質を感じさせるような、甘みと強さを強調した味わいに仕上げています。

──林さんにとってスープとはどんな料理でしょうか?

子供の頃からとにかくスープが好きで(笑)。ドイツやスイスに出張することが多かったのですが、向こうの冬はとにかく寒いので、私にとって現地で食す料理の定番のひとつにもなっています。仕事の合間に、温かいものを飲みたいけれど、ちょっとお腹も空いているという時は、コーヒーとケーキという組み合せよりは、ずばりスープが飲みたい!と感じます。スープはお腹も満たしてくれて、栄養もあるし美味しいし、無駄なものが一切なくて必要なものがすべて詰まっている…。無くてはならない料理だと常々感じています。

──SSTをよくご利用いただいているそうですが、お好きなスープはどちらでしょうか?

オマール海老のビスクは一年を通してよくいただきます。あと、最近のヒットは、季節限定の「とうもろこしの冷たいスープ」でした。季節ごとの旬の素材を使ったメニューにはやはり心惹かれることが多くて、よく注文するのですが、「あれ美味しかったからもう一度食べたいな」と思ってお店にいくと早くも終了していたりして、好きな友達が転校して行っちゃったような寂しさをよく感じています(笑)

──食において、「これは欠かせない」という習慣があれば教えていただけますか?

カレーを作るにしてもスープを作るにしても、とにかく大量の玉ねぎをじっくり時間をかけて炒めて味のベースを作るということを基本にしています。食べた時に「味気ないな」と思いたくないですし、「こうやったらもっと美味しくなる!」という選択肢が与えられると、どんなに面倒くさくてもそれをやらずには居られなくなるんですね。なので、ベースとなるおだし的な要素はしっかり丹念に作るというのが料理のモットーになっています。ベースがしっかりしていないと、後から塩気がたりない、旨味が足りないと、味を足さなくてはならないですよね?でも味付けって本来は後から足せるものでは無いはずなので、やれることはとことん手間をかけてやっておきたい!と常々思うのです。

──“食”とゴッホの関係、今回の2つのゴッホスープが生まれた背景は?

フィンセント・ファン・ゴッホという人物を“食”という視点で見ると、実は彼は生涯、食べることに執着しなかった人なんですね。今回の企画ではゴッホを今までにない新しい方法で紹介しようと試み、私のメインテーマ「食とアート」の切り口で読み解きました。彼が書いた数多くの手紙を始め、沢山の文献資料があるにも関わらず、そこにはほとんど食の事が書かれていません。それでも、ひたすらゴッホという人について検証を進めていくと、彼が本当にものすごく不器用で、美味しいものを楽しんだり生活の中でバランスをとっていくことが出来ない人だったからこそ、ああいった素晴らしい芸術が生み出されたとのだという事が解ってきました。わざわざ強引に“食”という切り口で見る事によりあぶりだされた不器用さが、彼の芸術の必然性だったという、ある種逆説的な解釈が生まれました。

──SSTのスープの味の決め手も、やはり飴色になるまでじっくり炒めた玉葱のソテーだったり、コトコト煮込んだトマトの旨味やミルポワの深いコクだったり、美味しくするためには絶対には短縮できないプロセスってありますよね。

本当に。もちろん素材の力も大きいと思いますが、何が一番大切かと言えば、与えられた環境のなかでいかにベストを尽くすかということだと思います。

──林さんが今気になっている食材、もしくは、SSTで今後こんなスープを作ってみたいというアイデアがあればお聞かせください。

ずっと気になっている食材は「白菜」です。ちょうど寒くなってきて間もなく旬を迎える野菜のひとつですが、和食だと切ってお鍋に入れるほか、お味噌汁にするとかお漬け物にするとか、あんなに美味しいのになぜか調理の幅が限定されていて、いまひとつ使いこなしきれていない食材だと思うんです。でも火を入れるだけでとても甘くなるし、色も白くてきれいだし、スープの色が濁らないという点においても、いろいろ面白いレシピが実現できそうですよね。なので、今度の冬は白菜のあの特有の甘みを活かしたスープがどこかで実現できたらと思うのですが、いかがでしょうか(笑)?

林 綾野/はやしあやの

キュレイター/アートキッチン代表。日本パウル・クレー教会のキュレイターを経て、現在は美術館での展覧会企画を手掛ける傍ら、アートと食の新しい融合を目指した著述業および料理制作を手掛ける。主な著作に、『ロートレックの食http://www.tokaiedu.co.jp/kamome/contents.php?i=128卓』、『クレーの食卓』(講談社・刊)がある。2010年10月下旬に最新の著書『ゴッホ 旅とレシピ』を講談社から出版予定。

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