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旅先アマゾン 熱気にあふれた町・ベレン

スープ心と身体を覚醒させる郷土料理・タカカ

旅人中川正子(写真家)

「食べたもののエネルギーで、感性のタガがはずれたんでしょうね」

中川正子さんは、スープによって心と身体が『覚醒』したことがあるという。

十年ほど前に、二週間かけてブラジルをまわる旅に出た。リオデジャネイロから入り、多くの街に立ち寄りながら北上して、アマゾン川の河口にあるベレンまで。

当時の中川さんは、野菜と魚を食べる菜食主義者・ペスカタリアンだった。肉を食べずにブラジルで過ごすのは、なかなか骨が折れる。レストランに入っても、口にできるのは甘いパンやつけ合わせの豆くらいで、味つけも粗い。旅をするからには現地のものを食べなくちゃと、日本食のたぐいは持参しておらず、ひどく後悔した。日数を重ねるにつれて、こまやかな味が恋しくなる。

だから、ベレンの郷土料理でおいしいスープがあると聞いたときも、とくに期待はしていなかった。ぐつぐつと煮立った石鍋が、目の前に出される。

「タカカ」というその名物は、エビの出汁がきいた魚介のスープだ。滋味深い魚介類や濃い野菜の味が重なり合って、じつにコクがある。ぴりりと辛みを足しているのは、アマゾン特有の黄色い唐辛子と、キャッサバの絞り汁らしい。

淡泊な食生活が続いていたから、その複雑な味わいが、心身にとりわけ沁みる。何度もおかわりをして、翌日の夕食どきには、誰ともなくふたたびそのお店を選んだ。

ベレンは、とても野生的な町に見える。裸足や、踊りながら歩いている人もめずらしくない。「人間」というよりも「動物」に近い波動が、あちこちで感じられた。そんな、かぎりなく肥沃な土地のスープは、強い。熱帯の国で、身体はすこしも冷えていないのに、ひとさじ飲むごとにじわりと、生命力が噴き出てくるようだった。

秘境の力強い食べもので、
覚醒した心と身体

町中でわさわさと茂っている椰子の木には、アサイーが実る。細くて高い木に、するする登っていく裸足の男性。とれたてのアサイーをすりつぶして砂糖をかけ、中川さんに差し出した。思わずうっとりするほどの、濃厚な味だ。

「たくさん旅をして、おいしいものにもいっぱい出会ったけれど、ベレンで食べたタカカとアサイーは特別。体に入れるものがすぐにエネルギーになることを、実感できたんです」

夜には、野外にあるクラブにも出かけた。レゲエやサルサに、ラテンの気配を散りばめたような音楽がいい。治安があまりよくないと言われ、すこし緊張したものの、気持ちは高揚している。せっかくなら、ブラジルの男の子と踊ってみたい。言葉はまったく通じないけれど、目が合った青年と、思うままにステップを踏んだ。目を見開き、身体をくねらせて、これまで知らなかった自分と出会う。私って、こんなに情熱的だっただろうか? 

気づけば、二時間ほども経っていた。「タカカとアサイーのエネルギーが、心と身体に残っていたからだと思う」と、中川さんがいたずらっぽく笑う。

その夜を境に。ブラジルを一緒に訪れた取材クルーたちは、中川さんのことを「アマゾネス」と呼んで、いまでも面白がっている。アマゾン川に棲むといわれる、強い女神の名前らしい。

研ぎ澄まされた感覚を胸に、
日常を生きたい

帰りの飛行機は、サンパウロから乗った。野性味たっぷりのベレンから来ると、サンパウロはまるで東京、それも丸の内あたりのようだ。撮影で訪れているのに、心からシャッターを切りたくなるようなものも見つからない。力強い食べものと土地のエネルギーを浴びていた昨日までは、感性のタガがはずれていたことに、そこでようやく気づいた。

日本での日常に戻れば、きっと感性はさらに鈍くなるだろう。でも、ベレンで味わった『覚醒』の感覚は、いまもありありと思い出せる。あとはアスリートのように、たとえば港区のど真ん中でも、閉め切られた会議室でも、同じように冴えた自分をつくれるようになりたい。研ぎ澄まされているときは、撮りたいものがたくさん見つかるし、いい撮り方もわかるから。

二週間ほど滞在していろんなところをめぐったのに、ブラジルと聞いて思い出すのは、野外クラブで踊ったときの衝動。そして、タカカ・スープをゆっくりとすすりながら見た、窓からの景色だけだ。文明が発達しきっていない、生のままの町。緑色の蛍光灯に照らされて、木造の電信柱が伸びていた。

旅人のプロフィール

中川正子

一九九五年、津田塾大学英文学科在学中にカリフォルニアに留学。写真と出会う。自然な表情をとらえたポートレート、光る日々のスライス、美しいランドスケープを得意とする。二〇一一年三月に岡山に拠点を移す。最新の作品集は『ダレオド』。https://masakonakagawa.com