Soup Stock Tokyo

Soup Friends Vol.41
平松洋子さん

食や生活文化を中心に幅広く執筆活動を行う、平松洋子さんの軽やかな文章が紡ぎだす世界は、いつもの日常の風景や当たり前の食卓での出来事も多く、誰もが読んで、そうそう、と共感したくなることでしょう。その理由は平松さんの鋭い観察力と目の付け所、毎日の中でそれらを大切に追いかける姿勢にありました。広がって行く言葉の世界と、日々の暮らし、魅力的なお話を伺いました。

──Soup Stock Tokyoをご利用されることはありますか。

特定の行くお店が決まっているわけではないですが、駅の近くなど移動の際に見つけて入る事があります。ちょっとお腹が空いた時や、今のうちにお腹に入れておきたいな、なんていうときに。近ごろ世間では炭水化物が敵のように思わる事が多いようですが、私はそうは思ってないけれど空腹だからといって炭水化物で満たすより野菜や食材が溶け込んだスープでお腹いっぱいになりたいですね。

スープの原点、スープストック(出汁)

──平松さんにとっての「スープ」とはどんなものですか?

素材を使って作る料理としてのスープが一般的ですが、「スープ」と聞いてまず思い浮かべるのはスープストックです。鶏ささみや、豚肉の塊でとったスープストックなど、自宅ではスープをストックしています。忙しいときでも、お出汁がしっかりしていれば塩分が少なくても、ぱっと買った野菜を使って、こっくり染みわたるスープになります。脳が喜ぶというか、安心してリラックスし、身体に深い満足感を得られると思います。忙しさと状況にもよりますが、たいてい豚肉を500gくらい煮込んでおくんですね。そうすると、お肉も食べられるし、スープもとれるし、同時にふたつができてしまいます。どうもこの煮込む作業が面倒だという印象があるようですが、ただ煮るだけなんですよ。さらに豚肉をおいしく食べられるという利点がある。私にはらくになるとさえ思えてしまいます。その煮込む30分が手間かもしれないけど、そこから先何日も楽しめるのです。忙しいときにインスタントに食べることを否定はしないけど、味の違いを思うとやはり、スープストックを選びたいなと思います。
 たとえばカレーを作るときにも、この豚のスープストックを使います。市販のルーは使わずにカレー粉を使いますが、ベースにストックを使うと昔ながらのおいしいカレーになります。また、旬の野菜と鶏のベースを合わせてポタージュにしてもいいですね。今年の夏は北海道から届いたとうもろこしや、枝豆を茹でてスープを作りました。スープストックを使って、季節の素材をひとつ。たまにはそこに玉葱や長葱も加えて。本当にシンプルな贅沢だと思います。

──外食で食べた、印象的だったスープはなんですか?

たくさんありますが、中でも参鶏湯などに代表される韓国にはとても印象に残る魅力的なスープがあります。魚介系や、テールスープのソルロンタン、胡椒をかけてとろっといただく牛肉のスープはコムタン。それぞれ食材から貪欲に旨味を抽出するようなスープばかりです。スープにさらなる具材や米を入れるクッパ、そこにお肉を加えたカルビクッパ、など総じて貪欲さと楽しさが共存しているのが韓国料理なのです。それから旅をしているときに出合った韓国の伝統料理、漆のスープですね。韓国の人たちは健康フリークな側面も持ち合わせていて、そういった意味でも漆のスープは昔から親しまれているスープなのですが、どこでもおいしいものが食べられるわけではありません。20年前くらいにソウルで、いい加減な作り方をした漆のスープを食べたら、体に真っ赤な湿疹が出たんです。2日くらい続いたかしら。そういう経験をしたから余計に用心しなきゃと思っていたところ7年前くらいに再び出会ったのが、利川(イチョン)の漆のスープでした。川の上流で特別に栽培された漆を、特別な技術で乾燥させるなど処理をした後、10種類以上の漢方と鶏と共に圧力鍋で煮るのです。それはそれは素晴らしい味で、透明感がありほのかな甘みがある金色のスープでした。そこでしか食べられない味、とても思い出深いですね。

──もともと食へのご興味から、作家への道が広がったのでしょうか?

食べ物があるから書く事を選んだ訳ではありません。あえていえば、書くために食というテーマを選びました。ひとそれぞれ得意分野があり、私の場合はそれが食だった。大学の専攻は社会学でしたので、食べ物をベースにして考察をしていこうと決めました。その当時から組織の中でやっていく自分が全くイメージできず、幸せになれると思えませんでしたから大学4年生から書くお仕事を始めましたね。

「味覚」は、人間の生きる為の感応力

──ご自分の食と味覚のルーツについて教えてください。

自分の食のルーツは当然日本にあります。和食の柱となるのは出汁の文化ですが、その背景には日本の豊かな軟水の水の存在があります。軟水で煮物をすると食材の旨味が水のなかに侵出します。一方ミネラルが多く含まれるヨーロッパの硬水は口当たりが重く、食材の成分がミネラルと結合しごつごつした硬め味になるのです。だから日本の軟水には鰹出汁、昆布出汁が成立するんです。出汁を口に含んだ時に、凄く微妙で繊細な、だけれど立体的な味の存在感を感知する力が私たち日本人にはあります。そういう風に育って、和食に慣れ親しんできたからなのです。私のバックグラウンドも味覚のなかにあります。
 けれど面白い事に、ほうぼう旅をしていると、文化的背景に裏付けされたおいしさ感応力のほかに、もともと人間が持っている感応力が働いている事がわかります。全く異なる食文化を経験してもおいしいと感じるのは人間に備わった凄く優れた力、つまり味覚を楽しむと同時に、生きて行くための感応力なのです。

生き方のヒント、ひとりの時間も大切。

──平松さんにとって取材をして書く事、の楽しさを教えてください。

例えば30分、ひとりの人に会ったとして、そこから何を汲みとれるのか、引き出せるのか、書かせていただくからには責任があります。取材の技術は、訓練を経ているつもりでも、言葉にする以上、その人の仕事や人生をどう表現できるか、未だにいつも緊張します。
 だからこそ、取材がとても好きなんです。取材にいくと「えーっ」って、自分では思ってもいなかったことや、必ず「はっ」とさせられるような事があるんですね。そういうとき書いていて良かったなと思います。それは、物事の拾い出し方がもたらしてくれるもので、目の前のなんでもない事に隠れているいろいろな要素を見逃さない事が大切。どうしてこれがここに置いてあるのかな、さっき何を言いかけたのかな、など言葉を聞くだけではなく、見て、分析して、自分の中でもう一度組み直す作業をする。だから、取材するときにはものすごく頭を使いますね。

──日々の暮らしのリズムをどうやって作っていらっしゃるのですか?

あるべき姿はこうで、その目標に向かっていく、みたいな道筋はないんです。自分の見方や精神状態は常にニュートラルで、なるべく波立たないようにしておきたい。仕事の上では締め切りがありますし、そもそも無理はしているので、それ以外で無理はしない、っていうくらいかな。生活の中にある空間や環境は、自分の心地良い状態にしてあります。人のせいにしない、ということを心がけています。人のせいにすると苛立ち方が健康じゃなくなるように思います。自分のやりたいこと(書くこと)をやっているので、そこで不都合があっても何かのせいにしない。選んでやっている事ですから、苛立たない。流れに任せて無理せず、棹差さず、自分を心地良いな、と思える状況においておきたい。30代や40代は、自分がどうやったら心地良いのか、探りながらでいいんじゃないかなと思います。完成型なんてわからないので、試行錯誤中と思えば楽になりますよね。間違えたってことに気がついたら、それ自体がひとつの発見だから。

──平松さんの原動力は何ですか?

好きなことを、やる。そこが原点じゃないかなと思います。できれば、できるだけ自分らしく生きる。その結果として、自分じゃなきゃできないような生き方になっていたら嬉しいな、と思います。突き動かされるようなことって、そうそうないから、いつもそれを探しているっていう感じかな。小さく突き動かされることが繰り返される、その感覚を忘れずに、あ、きたきた、って見逃さい。あれもこれもって欲張っていたら見えないものなのかもしれないですね。

──ひとりで食べる、ひとりの時間について

ひとりの時間って大事な時間だと思うんですね。とても豊かな時間だと思います。ひとりは人間の基本ですから。ひとりで、お店で食事をすることも、その時間を大事にできていれば、ふたりでいる時間も、誰かといる時間も、かけがえの無い時間だと身に染みてわかるはずです。ひとりの時間を大事にすることは、相手を大切にすることに繋がるんじゃないかなと思いますね。

平松洋子(ひらまつようこ)

エッセイスト。東京女子大学文理学部社会学科卒業。食文化や暮らしをテーマに、広く執筆活動を行う。近著に『本の花』(本の雑誌社)、『ひさしぶりの海苔弁』『ステーキを下町で』(文藝春秋)など。『買えない味』(筑摩書房)で2006年度Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。『野蛮な読書』(集英社)で2012年度講談社エッセイ賞受賞。

温野菜とチーズのブラウンシチュー

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